AKIKO my WAY

日々感じたままに^ ^

自分勝手な私。

誰かを傷つけるというのは、こういうことだった。

信頼を失うというのはこういうことだった。

わかってるのに、しってるのにできない自分は、自分本位のわがままでしかない。

 

自分の道を行くとか、そういう問題ではなく、

"せこい" こういう単語って、英語にもあるのかな。

見つからなければいいやとか、隠しておけばとか、

今までのそういうせこい自分の集大成だったようだ。 昨晩は眠れなくて、最悪だった。

いま気づいて、自分を変える。

もうせこい自分には戻りたくないし、そのせいで傷つけて、大切な人が離れていくなんて2度と考えられない。

 

人に嘘を言う、自分を誤魔化す知恵をつけすぎたみたい。勝手にそういうの、上手になってきてたんだ。

世渡り上手みたいなフリしてるけど、全然かっこよくないよ。

最低だよ、反省してる。

 

もう止めよう、けじめをつけよう。

そういうの、ちゃんとできる人になる。

当たり前だよ。

当たり前のことが当たり前にできる人になる。

自分が好きな自分でいる。

 

 

ち、痴漢。。!?

痴漢のようなことにあった。

山陽本線福山駅から広島市内に向かって移動中の在来線の中での出来事。

本を読んでたけど、フッとうたた寝してたみたい。

んっ?  なんか後ろの人蹴ってきてるのかな、そんな程度。気にせずいたけど、なんかモゾモゾ気持ち悪いなって、そしたら手が見えちゃった👀たぶん若い子かな。

えっ、何やってんの〜。

こういう時ってどうするんだっけ。

いざこういう場面に遭遇すると、何をしなきゃいけないとか、よくわかんなくなるもんだね。

思いついたのは、叫ぶ? もうすでに、現行犯じゃないんだけど、、なんか探し物でもしてたんかな。。

 

次の駅は糸崎駅。その駅で乗り換えだったから、サングラスをかけて降りる時に後ろの席を見てみたよ、中学生の男の子。下に顔を埋めてて見えないけど、体操着で。な〜にやってんのかね、30歳の女に。意味不明すぎて何にも言わずにここまできちゃったけど。

そろそろ広島市内に到着かな。

なんとも言えない旅の始まり。

 

さあ、3泊4日楽しむぞ〜!! 

人との話し方、接し方を考えてみる

これは、日本の文化と呼べることなのだろうかな〜〜

相手の気持ちを接しながら話す、とか表情を見ながら接するとか。

目上の人への気配りだろうか。接客業を長くしてきた私の思うことなのだろうか。。それとも、刑事ドラマを多く見過ぎ、深読みしてしまう私の癖なんだろうか。。。笑

 

日本語と英語。

日本に帰ってきて、日本語で会話する中。おそらく、言葉そのものの意味というよりも、言葉の捉え方は、人と話す接す上で、とても大きな意味がありように思う。 1つの言葉に1つ以上の意味を含み、さらには話し手も聴き手も、互いに意味を理解しようと、互いに言葉以上の気持ちを察そうとしているように思える。私はいつもそういう気持ちで会話を楽しんでいる。

英語の会話の場合、初級レベルの私には、言葉以上の意味など含むことができない。ネイティヴレベルで話す人たちは違うのかもしれないが。そうか!!!それは、私が英語初級レベルということも加味されているのだろうか。逆に言えば、どんな言語であろうとネイティヴレベルになれば、みんな相手の言葉以上の気持ちを察して会話してるんだろうか。

ところで、私の印象で言えば、日本語よりも英語は言葉どおりで、ダイレクトに表現することが容易に感じる。それは思考とも連鎖していて、一言でYes・Noを言いきる。そこにどっちつかずのようなまどろっこしさはないし、言い訳のようなことはあまり耳にしない。ただ、Yes・Noの理由をきちんと付け加えるのだ。

初めて海外に行った頃、どう答えていいかわからなくなって困ったように感じた答えはそこにあった。

理由を聞き返されること。なぜYesなのか、なぜNoなのか。という理由。会話の中でなんとなくした返事、“生返事”みたいなのが、外人にとっては、意味不明のようで _φ( ̄ー ̄ ) 例えば、行きたいのか行きたくないのか。今これをしたいのか、したくないのか。

そして、返事の後、考えちゃう理由。。。^^;

 

まあそんな経験があってか、いつからか少しづつ、自分のしたいことしたくないこと、常に頭の中をクリアにしておくこと、自分を知るいいきっかけにもなったような気がするな〜〜。

人と関わって生きていくということは、これからもずーっと続いていくことで、こんなことをわかりあえる人と出会えるといいなぁ〜なんて思う今日この頃^ ^